Satoshi Masuda/増田哲士/陶のうつわ
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ルーシー・リーの作陶技術考察


ほとんどの陶芸家が低温で素焼きした素地を泥状の釉薬の中に浸して施釉し、
高温で本焼成するという二段階のプロセスで焼成しているのだが、
ルーシー・リーは、素焼きをしていない乾燥した生の素地に刷毛で釉薬を塗り、一度だけ焼成して(*1)作品を仕上げている。
このことによって、釉薬と素地がより密接に結びつき独特の風合いをもたらしているとされている。
作業中に破損しやすく、時間と手間もかかる効率の悪いとも言える方法で、全ての作品を作り続けたルーシー。
彼女のこの作陶スタイルについて私が日頃の経験から感じたことと、工房訪問時の記憶を踏まえて少し考えてみたいと思う。

ルーシー・リーが電気窯による酸化雰囲気で焼成していたのは広く知られていることだが、
まず、焼成雰囲気が作品に与える影響から考えてみる。
やきものの焼成方法は大きく分けて酸化焼成と還元焼成のふたつがある。
このふたつの焼成雰囲気が作品に与える影響は非常に大きい。そしてその違いを決める最も重要なカギとなる物質は鉄分である。
まず、還元雰囲気で焼成されると素地中の鉄分は一酸化炭素により酸化第二鉄から酸化第一鉄に還元される。
この酸化第一鉄は強力な融材となり釉薬と活発に反応し溶け合い、素地と釉薬の間に密接な中間層が形成される。
そしてこの中間層の形成により釉薬の発色は決定される。
では、酸化焼成はどうかというと、酸化第二鉄はほとんど変化しないまま焼成を終えてしまう。
釉薬と素地は個々に反応して溶けていき、それぞれの結びつきも活発には起こらない。
つまり密接な中間層は形成されにくいのである。
このことから考えると、果たして生素地に釉薬を刷毛塗りしたからといって、
電気窯の酸化焼成で釉薬と素地が密接に結びつくのかという疑問がわいてくる。

あの独特の風合い質感はどこから生まれるのか。
強力な効果を放つ溶岩釉の素、炭化珪素(*2)はさておき、鉄よりも反応性の良いマンガンや銅などを素地に練りこむことで、発色効果を高めているが、いずれも表面の質感までを左右しているとは考えられない。
ところで、彼女のノートを見ると度々登場するレシピがあることに気づく。
それは熔化化粧とも呼ばれるもので、素地と同じ土または磁器土に融材として石灰を入れた化粧泥である。
釉薬ほどは溶けないが素地よりは溶けるというもの。これを釉薬と素地の間に塗っているのだ。
釉薬とより反応性のある土台を素地の表層に作ることで、強制的に中間層を発生させているのだと考えられる。
つまりこの熔化化粧は、より密接かつ複雑な釉薬と素地の反応を電気窯の酸化雰囲気で得るために導き出されたひとつの答えだったのだ。
そして、あの独特の風合いは綿密に計画された釉薬の積層によって生み出されていると言えるだろう。

ではなぜルーシーは刷毛塗り生掛け一度焼きにこだわったのか、工房の物理的条件から考えてみる。
浸し掛けの作陶スタイルで、彼女のように様々な釉薬を使い分けようとすると多くの釉薬バケツを用意しなければならないのだが、
実際自分の工房からバケツが無くなったら、どれほどすっきりするだろうと思うほどにバケツの存在は工房を圧迫するのである。
十数坪ほどしかないアルビオンミューズの小さな工房は、極限まで無駄をそぎ落とし整頓されていたが、
釉薬バケツを置くようなスペースはほとんど無かった。
制作中の作品も多く並べられるようないわゆるサン板と棚のようなものは無く、少量ずつ制作されていたようである。
ロクロ成形後すぐに乾燥用に暖められたレンガに乗せ、次のプロセスである削り作業への時間短縮を図ったのだろう。
そして削りが終わるとまた乾燥レンガに乗せ、完全に乾燥した後施釉、そしてまた乾燥レンガへ。
施釉後の作品は特に衝撃で破損しやすいため、重ねて保管していたとも考えにくい。
おそらくすぐさま窯詰めされたのだろう。とにかく置き場所が少ないのである。
だとすると、窯の温度分布を考慮して制作していかなければならない。
どんなに優れた窯でも温度分布に差があるものだから、当然彼女のヴィンテージ級の窯にも温度差があったはずだ。
上蓋式の窯は底の段から順に上の段へと詰める。仮に底の温度が上りにくい窯の場合、融点の低いものを底に詰めることになる。
そのつど釉薬を調合していた彼女のことだから、そのスペースに最適な調合の釉薬を選んで塗っていたのだろう。
短いサイクルで少量の作品を個別に仕上げ、徐々に窯詰めを進め、一杯になったら焼成する。
アルビオンミューズの日常はこんな感じだったのではないだろうか。

もちろんバケツを置く場所が無いということが作陶スタイルを決定付けた要因でないことは、彼女の作品を見ればすぐわかることだ。
そもそもこのスタイルはウィーンで制作していたころにはすでに確立されていたことから考えても、彼女がバケツの置き場所に悩むことなど初めから無かっただろう。
釉薬の刷毛塗りは均等に美しく塗ることが難しく相当な技術を必要とするが、
数種類の釉薬を塗り重ねたり塗り分けたい場合や、厚みを正確にコントロールしたい場合には適している。
そして、素焼きした素地よりも乾燥した生素地の方が水分の吸収が緩やかで、刷毛塗り作業がしやすい。
素焼きをしないことは電気代をカットでき、常に倹約を心がけていたという彼女のポリシーにも合致する。
制作環境の物理的制限、求める装飾効果と作業性、焼成とコスト、すべての要素が矛盾無く結びつき完成された独自の作陶スタイルだったのだ。

ルーシーが半世紀もの間過ごしたアルビオンミューズには一人の女性が陶芸家として生きていく最低限のものだけが揃えられていた。
それは長い年月の中で自分自身と向き合い、実験と修練を繰り返し、ただひと筋にやきものを作り続けた彼女の生き方、人生そのものを映し出している
"I just make pots."という彼女の言葉からは強い信念と謙虚さ、不屈の忍耐力を感じずにはいられない。





*1 文献によると一度焼きあがったものを手直しして再び焼成することもあったという。作品集の写真をよく見ると確かに焼きなおししたと思われる作品をいくつか見つけることができる。おそらく「ぶく」と呼ばれるクレーター状の欠点ができたものに釉薬を上塗りした後焼き直していたのだろう。
ぶくの出たところに金彩を施しているものも見られるので、焼き直しのパターンもいくつかあったのではないかと思われる。

*2 炭化珪素(シリコンカーバイド)・・・ 炭素と珪素の化合物、高い硬度と耐熱性から主にカーボン繊維、研磨剤、窯材(棚板)などの工業窯業原料として使用されている。
釉薬などに添加し焼成すると高温時に炭素と珪素が分解する。珪素は釉ガラスの主成分として吸収されるが、炭素は周囲の酸素を奪って二酸化炭素(炭酸ガス)となって放出される。この時釉薬の表面に現れる発泡痕がまるで溶岩のように見えることから溶岩釉と呼ばれている。還元作用があり、発色にも影響を与えていると考えられる。
当初は還元作用を求めて釉薬に添加したが、思いもかけずできあがった泡だらけの作品を面白いと思ったのが溶岩釉の始まりではないかという見方もある。



参考文献

ルーシー・リー
トニー・バークス著、西マーヤ・荻矢知子訳
ヒュース・テン 2001年9月


ルーシー・リー展
2010年回顧展図録



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