Satoshi Masuda/増田哲士/陶のうつわ
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ルーシー・リーのこと

はじまりは1989年の夏、当時高校2年生だった僕は習っていた学習塾の先生に勧められるまま東洋陶磁美術館へ向かった。
その先生はアートや音楽にも造詣の深い方で、美大志望の僕にいろいろと面白い話をしてくださっていたのだが、
今回はとにかくものすごく感動したので是非観に行って来なさいとのことだった。
僕は正直その時、一体何の展覧会なのかよくわかっていなかった。
ただ本日が最終日で急がないといけないということだけわかっていた。
果たして淀屋橋駅に着いたのだが、行ったことももちろん聞いたことも無い美術館。
どこにあるやら中之島を走り回ってやっとの思いでたどり着いた。閉館30分前だった。


そこにあったのはまるで宇宙人か別世界の住人が作ったかのような、見たことも無い物体の数々だった。

神秘的で凛々しく、ぴんと張り詰めた緊張感と静寂の中、音もなくまわり続ける独楽のようなフォルム。
あらゆる言語を超越して静かに語りかける、それは明確なメッセージではなく、ただ感じるのは深い安らぎと調和。


これまでの人生で全く興味が無かった、いや存在すら認識したことが無かった「やきもの」。
僕が「やきもの」というものを認識したのはこの時だった。



そしてグラフィックデザイナー志望から方向転換した僕は大学へ進学した。
当時の自分を卵から生まれたての雛に例えることがあるのだが、
人生ではじめて見た「ルーシーのうつわ」だけが至高で他は見るに値しない、というほど完全に脳に刷り込まれていた。
ルーシー・リー崇拝時代のはじまりである。
あまりにも好きすぎて、しかし当時は出版物や情報もほとんど無く、東洋陶磁での図録も売り切れて入手できなかったこともあり、
数少ない常設展示を求めて京都近代美術館へ行ったり、書店で小さい写真を見つけては大喜びしていた。
そして、ついに本人に会ってみたいと・・・。

今にして思えば、幼い頃から辛気臭いと言われていた僕がよくまあ大それたことを考えたものだと。
しかしあの時、何のためらいもなく行動できたことは奇跡だった。

アルビオンミューズの2階、あたたかな陽の差すベッドルームでの光景は今でも鮮明に目に焼きついている。
僕はあの時、生涯消えることのない光をもらったのだと思う。
そしてその光はまるでガラドリエルの玻璃瓶(*1)のようにどんなにつらいことがあっても、
僕を挫けさせることなくやきものへの道を照らし続けている。




二度目の渡英の時、病床の彼女を訪ねることはしなかったが、
アルビオンミューズ入り口の石畳に立ち、僕は誓いを立てた。
必ず「やきもの」を生涯の仕事にします、と・・・。
それからというもの、僕は一直線に彼女のうつわを目指した。
イギリスで手に入れた数々の本を辞書を片手に熟読し、持てる知識と技術を駆使して全力でルーシーのコピーを作った。
それが上の写真のものである。

今見るとツッコミどころ満載で本物とは程遠い代物だが、当時は相当なエネルギーを投入して作った渾身の作だった。

しかしこの後、本当に尊敬すべきはその生き方にあると気づき、コピーを作ることやスタイルを真似ることの無意味さを感じた。



卒業と同時に彼女のうつわを意識的に見ないように、遠ざけるようになった。
ルーシー・リー封印時代の始まりである。
三重県名張市に小さな窯を持つことができた僕は、当時お世話になっていたお店の注文から伊賀焼き風の土鍋を作り始めた。
初めはものすごく抵抗があった。
それがどうしたことか、まるで土鍋屋にでもなったかのように土鍋ばかり作る日々が訪れる。
冷却還元(*2)による深いビードロ釉(*3)の発色に成功しどんどん土鍋作りが面白くなっていったのだ。
僕のある種の勘違いはさらに加速し、伊賀焼きの人になる!とまで思うようになっていた。
何でもできるというくらいの根拠のない自信は満々だったが、
鉈で割ったような野武士的な作風が身上の伊賀焼きなど、所詮青白いもやしっ子の僕にはできっこなかったのだ。
どこか無理をしているような、そこはかとない違和感を感じはじめていた。

そして初めての個展を催した際、在学中以来お世話になっていた故宮下善爾先生が僕の仕事を見てひと言、
「そんな簡単に自分の好きなもん捨てたらあかん。」と仰ったのだった。
誰かに暴走する自分を止めてもらいたかったのかもしれない。
そのひと言は僕の頑なに凝り固まりかけていた心と思考回路を解きほぐした。
そしてその時僕は変わらなければならないと思った。


ただ、今ふり返ってみて、あの頃の考え方は間違っていても、作っていたものに間違いは無かったと思う。
あのビードロの土鍋は今でも僕の心のひとつの柱になっている。





名張から京都への引越しを機にルーシー・リー回帰時代が始まった。

長い封印時代が去り、あらためて彼女の作品を観て衝撃が走ったのを覚えている。
なんとなくよろけていたり、すき無く作りこまれているようでどこか抜けているところがあったり、
感じるのは完全さではなく、人間的なゆらぎと不完全さであった。
学生時代、完全無欠だと信じて疑わなかっただけに、そのギャップに打ちのめされた。
いかにものをよく観ていなかったか、当時の自分自身の目と感覚の未熟さには幻滅したが、
不思議とルーシーには幻滅しなかった。
むしろ人間として親近感が沸き、もっともっと好きになった。
それは完璧ではないそのゆらぎの中にあたたかさが宿っているということ、
そして、そのゆらぎこそがルーシーのうつわの最大の魅力なのだと気づいたからかもしれない。

長い試行錯誤と混沌とした時間を経て、ようやく自身のやるべきことがわかり始めた今日。
20代の頃は抵抗があったが、作品を見て「ルーシー・リーっぽいね」と言われることにむしろ幸福を感じるようになった。
どこかにルーシー風味を感じるようなうつわを作りたい。
いや、寧ろそれしかない、それしかできないのだから。

ルーシー・リー、僕にとって唯一の原点であり、これからも生きる指針であり続けるだろう。







*1 トールキンの指輪物語の中に出てくる魔法の水晶瓶。主人公フロドが長く危険な旅に出発する時、エルフの女王ガラドリエルより授けられたもの。

*2 焼成方法のひとつ、温度上昇中も還元雰囲気で冷却中も1000度付近まで還元雰囲気を保つことでより強い還元作用を与える。

*3 ビードロ釉は伊賀焼きの景色のひとつでもある自然釉を模したもの、還元焼成により灰や素地中の鉄分が深い緑色に発色する。




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